最近東京の地名に関する本に目を通したとき、「霞ヶ関」についての地名由来に感心しました。他の地名は江戸時代なにかに付けられたものが多いのですが、霞ヶ関の地名由来ははるか昔大和朝廷にまで遡るようです。
その当時から「関」があったようですが、それが蝦夷(えみし)の防御の為の関だったとのこと。そしてその「関」は京からすれば雲霞の彼方にあったとのことで、「霞ヶ関」となったとのこと。
言ってみれば当時は日本のど田舎、辺境の地であったわけです。
そしてそれから1900~2000年後である今年9月に霞ヶ関はR7プロジェクト(都市再生<Renaissannce>などのRと<合同庁舎7号館改築>の意を表す。)が一部を残して完成します。一時は首都移転などが叫ばれていましたが、今やすっかりそういった話は聞こえなくなり、霞ヶ関も日本の中枢である東京のさらにその中枢である地位を固めていっている感があります。
また防衛庁跡地である東京ミッドタウンが来月末にはオープンになるなど再開発目白押し、東京の魅力がここのところ加速度的に増しているように思えます。こういった現象が起こるのは、かつて「日本列島改造論」に代表されるように都市と地方の均衡発展を目指した我が国の政策を今世紀に入り「都市再生特別措置法」の制定などを通じ、大都市育成に方針転換した結果でもありましょう。
そんなことで東京一人勝ちは良し悪しの判断は難しいですが、更に進展することは間違いありません。
大和朝廷時代は霞ヶ関の地価は二束三文(というか貨幣が無いか・・・)だったわけで、ということはあと2000年後には地球温暖化の影響で標高のある日本アルプスあたりが日本の中枢になるやも・・・
といったところで買占めるには寿命の方が・・・







