「サバイバル」(~戦争、原爆・放射能、世界恐慌、大地震~)です。
不動産投資Ranking
投資プログランキング
○香港・マカオ
竜は、香港・マカオが中国に返還される前にも、訪れた。
香港のタイガーバーム、百万ドルの夜景。
マカオの教会、カジノ。
邱永漢先生も言っておられたが、
「香港が中国化するのではなく、中国が香港化する。」
本当に、そうなりつつある。
○韓国(ソウル)
竜は、1987年末から1988年年始にかけて、友達と、韓国(ソウル)に向かった。
零下10度という寒さだ。
未だ、ソウルオリンピック開催前だったのだが、ハングル語中心で、英語表記も少なく、道もわかりにくかった。
高速道路では、走りながら、自主申告で、コインを投げ入れる。
案内してくれた現地の女性は、親切だった。
個人的に、夜は、御酒に付きあってくれた。
帰国してからも、手紙をくれ、近況を報告し合ったものだ。
その後、1988年9月17日~10月2日、ソウルオリンピックが開催された、
○インドネシア(バリ)
竜は、インドネシア(バリ)の雰囲気が好きだ。
あの神秘的な、雰囲気。
踊り。
あの香り。
竜は、バリで、バンブーダンスに挑戦。
あの速さに着いていけず、竹で、足の指を挟まれてしまった。
又、あの踊りの首と手指の動き。
これは真似ができない。
昔は、良かったが、今は、テロ・暴動も多く、政情不安になってきたのが、残念だ。
ボロブドール遺跡も、不思議な雰囲気を醸し出している。
○アメリカ(ロスアンゼルス・ラスベガス・デスバレー・グランドキャニオン・サンフランシスコ)
竜は、ある年末、友達と、アメリカ(ロスアンゼルス・ラスベガス・デスバレー・グランドキャニオン・サンフランシスコ)も行ったが、結構、楽しかった。
ロスアンゼルスのディズニーランド、ハリウッド。
ラスベガスのカジノ。
特に、デスバレー・グランドキャニオンは、自然の偉大さを感じ、圧巻だった。
グランドキャニオンは、歩いて行くと、数日間かかるというので、セスナに乗っていった。
小さな飛行機で、谷の間をする抜ける。
時々、崖に激突し、落ちるらしい。
結構、スリルがあるが、景色は圧巻である。
サンフランシスコのブリッジ、路面電車。
竜は、サソリの標本を買って帰った。
○オーストラリア(シドニー・メルボルン・パース、ブリスベン・ケアンズ)、
竜は、オーストラリアも、何度か行った。
シドニーでは、オペラハウスで、大統領夫人等のピアノコンサートにも行った。
メルボルン湖の黒鳥。
パースの綺麗な街並み。
ブリスベン動物園でのコアラ・カンガルー等との触れ合い。
ケアンズの熱帯雨林・サンゴ礁のグレートバリアリーフ。
ブーメラン体験。
南が上になっている、南北さかさま地図のTシャツが気にいった。
昔は、白豪主義とかで閉鎖的だった時もあると聞いていたが、現在は、開放的で、おおらかな国である。
オーストラリアにとって、輸出・輸入共に、最大の貿易相手国は、日本である。
関係も深い。
ポロシャツ・半ズボンの出で立ちは、南国ハワイのようでもある。
現地の人と話していて、人生の考え方は、日本のそれとかなり違う。
当時の竜は、勤め先に、24時間365日勤務といった状況だった。
予算業務のピークは、半年毎に、2ケ月間は続くが、毎日、帰宅は午前様。
夜中の3時等といった状況。
家には、風呂に入り、仮眠を取り、着替えるだけの為に帰るようなものだった。
休日の土・日曜日も出勤は、日常茶飯事だ。
1ケ月の残業時間は、100時間。
残業が増えれば、残業代節減の為、いわゆる「偽装管理職」扱いとして、残業代も支払われなくなる。
「偽装管理職」扱いとなると、わずかの「管理職手当」は出るものの、残業代には、全然、及ばない。
又、賞与も保証されず、下限の保証もない。
へたな「偽装管理職」の場合、残業の多い総合職より、安月給になることも、日常茶飯事だ。
「管理職」と言っても、部下も付けられず、管理業務もなく、実質は、担当者なのだが、残業代節減の為、名前だけ、「管理職」とする、いわゆる、「偽装管理職」である。
そもそも、労働基準法でいうところの「管理職」というのは、世間でいうところのオーナー・重役・経営者に近いものを想定しているのである。
「重役出社」という位の、成果主義で、時間にとらわれない勤務形態を想定しているのである。
その割には、始業時間・終了時間には、細かく、遅刻・昼休み・早退・休暇等には、厳しいことを言う。
健康管理の名の下に、「偽装管理職」に出勤簿迄つけさせて管理している企業もある。
これなど、自己矛盾である。
いいとこ取りで、論理一貫性がない。
会社側のお気に入りは、どんどん「お偉いさん」になっていくが、そうでない「お馬鹿さん」は、最初で最後の「昇進?」が、この「偽装管理職」になる時なのである。
さて、竜は、双子が生まれた後等は、9ケ月位、妻と長男・次男は、妻の実家に帰し、別居した位だ。
双子を、一緒に、風呂に入れるには、2人以上の人手がかかる。
しかし、竜が、家に帰れるのは、毎晩、夜中。
風呂に入れられるのは、休日の土・日曜日のみだ。
1週間、風呂にも入れられない状況を、長く、続けるわけにはいかなかった。
今でこそ、世間受けを狙ってか、見せかけ上だけでも、「ワーク・ライフ・バランス」等とかいった言葉が流行っているが、昔は、そういった発想は、全くといっていいほどなかった。
育児・介護等何のその、仕事以外のことなど考えるなという発想だった。
そういった状況を、離すと、
「クレイジー」
と言われてしまった。
「何の為に生きているのか?」
と聞かれてしまった。
オーストラリアもそうだが、普通は、
「生きる為に働く」
しかし、日本では、
「働く為に生きる」
本末転倒なのである。
○シンガポール・マレーシア(ジョールバル、ペナン、ボルネオ/コタキナバル)・タイ(バンコク)・台湾(台北)
竜は、ある年の夏、一度に、シンガポール・マレーシア(ジョホールバル)・タイ(バンコク)・台湾(台北)と、4カ国縦断したこともあった。
シンガポール(マーライオン、タイガーバーム)。
マレーシア(ジョホールバル)。
タイ(バンコク:寺院、水上船)。
台湾(台北:故宮博物館)。
昔、蒋介石は、中国から、いい美術品のほとんどを、台湾に持ってきてしまった。
故宮博物館は、展示物が多過ぎて、季節毎に、展示物が変わる。
従って、季節毎に、4回は行かないと、全展示物は見られない。
一度に4カ国も行くと、決行、慌ただしい。
移動も多いし、ホテルも変わるので、荷物の移動も大変だ。
又、通貨も、言葉も変わるし、出入国手続きもわずらわしい。
年を取ってからは、尚更、一か所にロングステイする方が、楽に感じる竜であった。
ハワイ(ワイキキ)に2週間ロングステイした時等は、結構、落ち着けたものだった。
○マレーシア(ボルネオ/コタキナバル)
竜は、マレーシア(ボルネオ/コタキナバル)にも、足を伸ばした。
コタキナバルから、何も無いでこぼこ道を車で走り、ジャングルの中に入っていく。
夜なので、真っ暗で、何の明かりも無い。
車のヘッドライトのみが、唯一の頼りだ。
ホテルの前は、ビーチ。
ホテルのすぐ裏はジャングル。
野生のオランウータンが、すぐ傍まで、遊びに来たり、餌を求めてやってきている。
今や、オランウータンは、あまり、おらん。
なかなか、見られなくなっているのである。
オランウータンだけでなく、蛇やトラもいるので、あまり、森の中に入っていくのは危険だ。
この時は、竜は、義父母、妻、長男・次男と、一族で行っていたので、あまり、危険は冒せなかった。
竜は、ホテルで、現地の人を紹介してもらって、車で案内してもらうことにした。
英語しか通じないが、リーズナブルな価格で、親切にしてもらった。
「ベリ・ベリ・プア・ビレッジ」にも連れていってくれた。
そこは、海辺の一帯。
フィリピンの方から、船で勝手にやってきて、そこらへんに住みつくのだそうだ。
海岸に、木で橋を作り、その橋の傍に、海上に小屋を作るのだ。
そして、どこからか、勝手に、電気を引いてくる。
海岸に近いほど、上流階級だそうだ。
その上流階級の方の家には、何と、テレビも映っていた。
家の中は、丸見えだ。
家の中には、穴が開いており、海にそのまま、用をたす。
その傍では、犬が下痢をしていた。
竜は、犬の下痢を始めて見た。
その傍では、子供達が、泳いで遊びながら、蟹を取っている。
その蟹等を売って、生活しているのだと言う。
その案内してくれた現地の人ですら、こういった生活はできないという。
彼らは、非常にタフな人達なのだ。
彼は、その後、山の上の方にある自分の家にも連れていってくれた。
水もタダで、引いてくるのだという。
たくましい。
兄弟で、こういったフリーの運転等をして、暮らしているのだという。
○ハワイ
竜は、ハワイも、何度か行った。
竜の出身地の広島の移民が多いのも、何か、親近感を感じる。
又、義母・妻がフラをやっていることからも、親近感を感じるのであろうか。
オアフ島だけでなく、飛行機に乗って、カウアイ島(シダの洞窟等)にも羽を伸ばした。
カメハメハ大王像、ワイキキ動物園、ワイキキ水族館、ハワイアンセンター、真珠湾、牧場。
サンセットクルーズ、潜水艦。
ダイヤモンドヘッドも歩いて、頂上迄登った。
移動は、リムジン。
快適だ。
○グアム
旅行中、台風にもよく会う。
特に、秋の頃はそうである。
竜は、妻、長男・次男とで、グアムに行った時も、台風が来た。
3日間位、台風の為、外出禁止。
いつもホテルのレストランでの食事で飽きてくる。
宅配ピザも取った。
ホテルで、テレビのアニメ等を見て過ごす。
さすがに飽きてきて、3日目、台風が弱くなってきた頃は、タクシーを呼出し、町まで出かけていった。
○サイパン
サイパンの海。
シュノーケリング、水上スキー、パラセール。
大意風の中、竜は、長男・次男と共に、決行した。
それでなくても、裸眼で視力0.1未満。
その上、台風で、視界はほとんどゼロ。
あやうく、沖の外に出そうな直前、現地の人に止められた。
そう、一族(義父母、妻、長男・次男)とで、サイパンに行った時も、台風が来た。
サイパンでは良かったが、帰りの飛行機で、日本上空に来た頃のこと。
飛行機は激しく揺れる。
長男。次男は、おとなしくなり、顔が引きつっている。
成田空港近辺まで来たが、台風がひどく、着陸できない。
仕方なく、上空を旋回すること、約5時間。
何か、眼が回りそうである。
そのうち、燃料が無くなってきたのかどうか知らないが、羽田空港に緊急着陸することになった。
皆、僻地の成田空港よりは、羽田空港の方が、帰って便利である。
しかし、入国手続きができないとかなんとかで、乗客は、羽田では降りることは許されなかった。
結局、羽田空港に止まったまま、又、数時間待たされて、台風が弱まった頃愛を身図って、又、成田空港へ。
17時頃到着予定が、着いたのは、夜中の12時頃。
近所の貧乏学生等は、帰りの電車にも間に合いそうもなく、ホテルに泊まるのも金がかかるし、困っている様子だった。
我々一族は、車で来て、成田空港の傍の駐車場に止めていたが、延長料金を取られそうだった。
航空会社は、何も触れないので、こちらからネゴした。
台風で不可抗力ではあるが、後で、領収証を持ってくれば、延長料金分は、何とか、面倒見てくれそうだった。
幸い、12時ギリギリであり、延長料金も取られずにすんだ。
しかし、くたびれたものだった。
竜は、サイパンには、良く行く。
2005年の8月6日、広島原爆投下の60年後の時も、竜は、サイパンにいた。
原爆搭載した、テニアン島を眼の前に、合掌をした。
その年は、天皇陛下も来られたとのこと。
天皇陛下は、日本から、車毎、飛行機に搭載し、来られたとのこと。
竜達を案内してくれた現地の方が語ってくれた。
竜は、サイパンに行くと、リーバイス店に行って、ジーンズを買ってくる。
足長で体型のいい竜は、欧米人に体格に近く、裾を調整しなくても、そのまま履けるのである。
それにしても、サイパンは、行くたびに、お気に入りの店舗が閉鎖されており、寂しくなってきている。
日本系の飛行機も全て、運航中止となってしまった。
人口は、ピークの半分未満となっているという。
グアムに比べて、サイパンは経済的な地盤沈下が激しく、寂しい限りである。
○東久留米の下宿
ところで、竜は、大学1年生の頃から、西所沢のアパートに住んでいたが、大学4年生の頃、急遽、東久留米の下宿へと引越しをした。
何故ならば、就職活動があったからだ。
竜は、貧乏だったので、電話も引いていなかった。
勿論、当時は、昨今のような、携帯電話等ありはしない。
大家さんも、離れていたし、取り次ぎもしてもらえない。
そこで、電話の取り次ぎをして貰える下宿へと、変えたのだ。
都心にも、少しは、近くなった。
又、気分を一新させる意味もあった。
その下宿では、1日置きではあったが、風呂にも入れて貰えた。
卒業に必要な全単位を3年生迄に取得済みの竜は、大学4年では、法律(商法)のゼミ2つ、英語4つの授業のみを選択。
4月から10月迄は、就職活動。
10月から1ケ月で、東久留米運転免許教習所で、運転免許取得。
11月から1月迄、東久留米の近所で、学習教材箱詰めのアルバイト。
2月3月にかけて、ヨーロッパ卒業旅行。
まー、慌ただしい、1年間だった。
そして、就職が決まって、勤め先の独身寮に入ることが決まった時も、大家さんに気にいってもらえていた竜は、
「良かったら、ずっといていいんだよ。」
と、言って貰えた。
竜は、うれしかった。
今と違って、当時は、貸し手市場。
大家さんは、入居者の回転を良くして、その度に、敷金預り、礼金を貰え、家賃値上げができた時代であった。
今のような、敷金ゼロ、礼金ゼロ、フリーレント、家賃値下げ等、考えられない時代だった。
退去する時、大家さんは、他の入居者2人をも含めて、4人で、就職合格パーティーを開いて下さった。
竜は、後にも先にも、こんなことをして貰えたのは、初めてだった。
○某国営テレビ局受信料
ところで、余談だが、西所沢では、田舎からテレビを持ってきていた。
ある日、突然、某国営テレビ局が訪ねてきた。
「テレビを持っていますか?」
「いやー。」
「貧乏なんで、持っていません。」
と、竜は、何度か、追い返した。
実は、テレビは、奥の方の部屋に置いてあり、戸を閉めておけば、みつかることはなかった。
ところが、ある日、竜は、うっかりと、テレビを付けっ放しで、しかも、戸を開けたまま、出てしまった。
「こんにちは。」
「あれ?」
「テレビ、買われたんですか?」
「あっ。」
「あれですか?」
「最近、田舎から、持ってきたんですよ。」
「でも、僕は、アホなんで、某国営テレビ局のような難しい番組は、見ていませんから。」
「いや―。」
「見ていなくても、テレビを持っているだけで、見られる環境にはあるわけですし、見たか吉祥寺どうかなんてわからないいんで、受信料は頂くことになっているんですよ。」
「そう、法律で決まっているんですよ。」
「いや―。」
「私は法学部ですが、そんな法律、知りませんがねー。」
「私は、認めた覚えもないですし。」
「それに、ここは、電波の状況が悪いんで、某国営テレビ局は、ビリビリで、よく見えないんですよ。」
「あれ?」
「さっきは、見ていないって、言っていませんでしたっけ?」
竜は、色々と、わけのわからないことを言ってはみたが、無理だった。
「まー、取り敢えず、請求書等一式を置いておきますから、支払っておいて下さいね。」
その後、竜は、無視して、引越した。
すると、数ヵ月後、東久留米の方にまで、某国営テレビ局から、手紙が来た。
こんな所にまで、追っかけてくるとは、しつこい。
住民票を追いかけたのか。
竜は、又無視した。
そして、翌4月、勤め先の独身寮に引越しした。
因みに、そこでは、全体でまとめて受信料を支払っており、やっと、解決した。
因みに、竜は、その後は、ちゃんと、支払っている。
しかも、1年分まとめて、前払いだ。
その方が、割引がきくのだ。
更には、某国営テレビ局のモニター、特別モニターまでして、協力した。
ついでに、竜は、民間テレビ局の日本テレビ、テレビ東京のモニターにも協力させて頂いた。
変われば、変わるものである。
○勤め先の独身寮
1982年、竜は、勤め先の独身寮に入った。
広さは、4畳位だろうか。
押し入れは、隣の部屋同士で、御互いに出っぱっている。
物音は、結構、聞こえる。
他の連中の話声、音楽、目覚ましの音、結構、うるさい。
変わった人達が大勢いた。
竜は、遠慮のない方なので、先輩だろうが、うるさい時は、その旨、言いにいって、静かにしてもらった。
毎朝、6時の早い時刻に、目覚ましが鳴り始め、その後、延々と、30分間、慣らし続ける先輩。
周りの者を目覚めさせ、本人は、全く、起きやしない。
それなら、初めから、6時30分に慣らして下さいと言いにいった。
有る夜は、「ウーン」とい怪音が。
それが、毎晩続く。
「UFOの襲来か?」
竜は、不思議だった。
有る夜、その真相が判明した。
何と、隣の先輩の部屋を訪ねた時のこと。
扇風機を竜の部屋との間の壁に据え付けていたのだ。
その振動音だったのだ。
先輩に対して、その扇風機の設置場所を変えてもらった。
その怪音は止んだ。
数年して、後輩達が入ってくると、若いだけに、騒々しく、うるさい。
毎夜、集まって、ドンちゃん騒ぎ等をしている。
竜は、月2階程度、日の出前に起き、日の出と共に、車で、遠出したりしていた。
夏だと、5時頃だ。
そういった日の前の日は、早く寝る。
前もって、うるさそうな部屋の住人の前に張り紙をしておいた。
「明日は、朝早いので、今夜は、静かに願います。」
そういいつつも、竜の部屋には、30センチメートルウーハ(低音部スピーカー)付きのコンポーネントステレオ。
ハードロックで目覚めていたりした。
又、エレキギターも装備していた。
竜も、結構、迷惑をかけていたのかもしれない。
洗面所・トイレ・風呂は、共同だ。